腹痛





しゃっちゅう腹痛に悩まされているユイは、腹痛が治るという治療を受ける




グルグルと休憩室にユイの腹が鳴り響く。いつもの光景だ。



「あ、ごめんなさい」
 



ユイはお腹が鳴った恥ずかしさと痛み苦笑いをしながら腹を手で抑える。




「また痛いのか?」
 



隣でメモ帳に予定を書き込んでいたユイのマネージャーが不安そうな顔で聞く。それにユイが頷く。




「あのさ、一回病院行ったほうがいいんじゃないか?」




「え? いや、あの私がお腹が弱いのは生まれつきなんで。だって、お水を飲んだだけでも痛くなるんですから」




 ユイは照れくさそうに笑って見せたが、彼は表情を変えなかった。




「お前、じゃあさ本番でそういうふうに腹が鳴ったらどうするんだ? ドラマの撮影だったらNGになるんだぞ」
 



ユイは幼い頃から腹痛持ちだった。冷たいモノを食べれば腹痛に襲われ、初めての場所や緊張する場面など精神的なものでも腹痛がしょっちゅう起こっていた。



だから、その痛みにももう慣れっこだし、日常茶飯事のことでそこまで気にするまでもないことだと思っていた。




「そんな……確かにそうですけど、今までそんなことはないし」



「それに、腹がしょっちゅう痛かったら仕事にも集中できないだろう」



「……そうですけど。でも、だからって病気じゃないですよ。これは。体質っていうか」




「それがな、違うんだってさ。腹が痛くなる人というのは、腹の中の何とか菌っていうのが上手く機能していないから痛くなるんだってさ」



「そうなんですか」




「それでな。その菌を活発に機能させる治療があるんだ」



「へぇ」



 ユイは彼の話に頷きながらも半信半疑だった。




「そうだ。明日はオフだ。お前、その治療受けてみろ。俺が病院を紹介してやるから」




「え? いいですよ」




「ダメだ。お前が良くても、俺が許さない。これは業務命令だ。行け」


紹介された病院は普通の総合病院だった。四階建ての白い建物は、どの病院にもあるような各専門科によってエリアが分けられている。ユイが行くように言われたのはその病院の二階の内科だった。




 『第一内科』とプレートが掲げられている部屋の隣にある待合室で順番が来るのを待ちながら彼女は憂鬱な気分だった。どういう治療がなされるかはわからないが、おそらく腹部に何かをしていく治療になるだろう。



ユイは他人に自分の大事なお腹を触られるのが嫌だなと思った。
 



小学校四年生の頃、朝学校へ行くと前から来たやんちゃなクラスメイトの男子生徒が理由もなくユイの腹を思い切り殴られたことがあった。



その時は痛くて痛くて、その日一日中痛みが消えず食事も全く摂れず、そんなことをされてものんびり屋のユイは、その嫌がらせをした男子生徒に何もできなかった。
 



また、仰向けに寝ていたら一番上の姉に思い切り腹を踏まれたこともあった。後から訊けばユイが姉の取っておいたプリンを食べたのがいけなかったのだが、その受けた衝撃は今でも忘れられない。
 



そんなトラウマのようなものがあり、それに加え、腹痛持ちで腹は大切に扱うものだと幼い頃から思う彼女は人に自分の腹を触られるのは極端に嫌い、大人になってからも体調が優れなくても腹を必ず触られる病院にも行かなかった。




別に、腹痛持ちでも大切に扱っていけばいいことじゃないか。わざわざ治療なんて受けなくてもいい。だが、マネージャーに逆らうことはできない。



彼のお陰で今の自分がいるしこれからの仕事がもらえる。
 




そう心の中で葛藤しているとドアの向こう側からユイの名前を呼ぶ声がして、部屋の中へ入るように指示された。彼女はゆっくりと腰を上げて恐る恐る中へ入っていく。緊張でいつもの腹痛が起こってきていた。

「どうぞ」
 



ドアを開けると、ベッドの横の丸椅子に白衣を着た女性の医者が座っていた。



「ああ、ベッドの方に仰向けになってください。それで服は捲ってお腹を出して仰向けになってくださいね」
 



ユイが話す前に、女医は顎で指示をする。いきなり腹部をさらけ出すのは抵抗があったが抵抗しても仕方がないと思い、渋々仰向けになって服を捲る。




「あらら。丸くて柔らかそうなお腹ね。どれどれ」
 



女医は立ち上がり、仰向けのユイの前に立つ。



「ちょっと失礼しますね」
 


そう言うと、女医は臍の辺りをゆっくりと押す。



「いや」
 


思わず、ユイは声が出てしまう。



「ああ、ごめんなさい。冷たかった?」



「いいえ。すみません」
 



改めて女医の手がユイの腹に延びる。女医は軽く指で圧縮しながらユイの腹部のいたるところを押していく。




「あ、痛いですか?」
 



ユイが顔に眉間を寄せながら耐えている素振りを見せているのを見かねたのか、女医が聞く。しかし腹を押す手は止めることはしなかった。



「ちょっと、さっきからお腹が痛くて」
 


内心、ユイはもう逃げ出したかった。やっぱり、治療なんていい。お腹は痛くなるし、触られるのも気持ち悪い。




「そう、何かお腹に当たるものとかを食べました?」




「いえ。私、ちょっと緊張するだけでもお腹に来るんです」



「なるほど。わかりました。でも、それも今日で終わりになりますからね」
 




その言葉を鵜呑みにして良いものだろうか。半信半疑だった。それよりも、このお腹を押す手を早くどけて欲しい。ユイは小さく聴こえないようにため息を吐く




「では、ちょっと痛いかもしれないけど我慢してね」
 


腹を押すのを止めると、女医は手に拳を作ってそれを振り上げる。そしてそれを思い切りユイの腹目掛けて振り下ろす。




「ウッ!」
 




その衝撃でベッドのクッションと共にユイの身体が大きく揺れる。間髪を入れずに連続して女医は振り下ろす。




「ウッ! 痛い。痛い」
 



腹痛の上にそのような外部からの衝撃で、今までにない激痛を味わいユイは思わず女医の腕を掴む。




「看護師さん。そう。その子の腕持っておいて。ごめんね。もうすぐ終わるから」
 



ユイの後ろから看護師が現れ、女医の腕を掴む彼女の手を持って無理やり頭の後ろに手を組ませられる。
 



すると今度は手に体重をかけながらユイの腹を圧縮してくる。彼女の腹が圧縮される度に中へ凹んでいく。それと同時にグーと腹が鳴っている。




「ホント、止めて!めて!あああ」
 




抵抗するにも、看護師に頭の後ろで手を組まされ身体も痛みで言うことを利かない。地獄だった。自然と目からは涙が零れ落ちて、注射を嫌がる子供のように叫ぶ。




「はい。終わり」
 



と、突然女医の手がユイから離れる。同時に腕を持っていた看護師も手を離す。あがった息で上下に動く腹に手を乗せる。




「どうですか?」



「え? どうって、もう」
 


痛いに決まっていると思ったその時だった。ユイはふとあることに気がつく。さっきまでの腹が痛くない。



「菌を正常に動かしたから。もう大丈夫ですよ」
 



それからユイは腹痛とは無縁の生活になった。その生活は思っていた以上に快適で早くこの治療をしておけばよかったと後で後悔した。